OPLL入院3日目その2
日記見てたら続きありました。
よほど暇だったんでしょうね~、自分のことながら。
15時~
リハビリが来なくて暇。
本は3冊ほど持ってきているんですが、痛みが気になって読むというより文章を目で追いかけてるだけになって、全然記憶に残りません。
こんな無駄なインプットするよりはアウトプットをした方がマシってことで、当時思ったことが徒然と日記に書いてありました。
まず、今回のOPLLになった場所。今までヘルニアをおこした場所と同箇所な気がする。
13年前もヘルニアで左足痛めたし・・・、その後もダマシダマシで生活してきたらこの有様。両足の神経の出口が圧迫されている&MRIで写ったアレ(ヘルニアと思わしきモノ)まで骨化物なら・・・、すべての原因は13年前の腰痛(仮説)
今回の手術でどうなるか、ですけどね!
圧迫してる骨化物は削り取るとしても、今の神経がどこまでダメージ回復できるか。
抗うつ薬のせいなのか、かみさんの考え方が伝染したか、どうしても楽観的。
しかし何故骨化するのか?
牛乳は毎日飲んでるから、カルシウムの取り過ぎ?
それ以前に太ってるからなぁ、糖尿病にも気をつけないといかんなぁ。
ダイエットしないとね、太ってるとあまりメリット無いってことですね。
で、15時30分。リハビリはこない。
19時~
15時30分過ぎに両親がきた。
生計別なんだけどなぁ、見舞金なし(笑)
確か、親父殿が入院したときは(以下略)
サクランボと麦茶をもらって、また難病の説明をする羽目に。
まぁなんだかんだで18時過ぎまで居てくれて話し相手になってくれたので感謝。
で、100均の杖を2本貰う。
これで明日の外出、何とかなるだろうか。
ちなみに親父殿は以前癌手術して、定期的に検査してるんだが前日の検査で直腸がひっかかったそうで、7/3が検査だそうだ。親子揃って病気だらけ。
そういえば結局リハビリ来なかったなぁ。
20時頃に点滴入れて就寝。
なんの点滴だったのか、日記に書いてないから不明(苦笑)
いろいろ書いてあると思ったんだけど、あまり書いてないなぁ。
次こそ4日目。
へば。
OPLL入院3日目
間が空いてしまいました、とみーです。こんばんは。
流行は気にしてないのですが、体が反応してしまい風邪ひいたり、なんだかんだで大変な冬でした、いやはや。
入院3日目。
医師から説明受けました。同意書やら難病指定の届け出やらがありましたが、嫁さんがきっちり手続きしてくれました。頼もしいったらありゃしない。
で、今夜から痛み止めの点滴を受けられるらしい。実は明日は倅の3回目の誕生日。外出許可を貰ったのはいいものの、はたして家に帰れるのか不安が募るばかり。
そんなうちの不安をよそに、嫁が半休とりながら難病手続きに必要な書類をそろえるために役所巡りしてる。うちも頑張らないとあかんなぁ。
今日からリハビリもするって聞いてたんだけど、なんの音沙汰もなく時間が過ぎてゆく。ううむ。
寝たきり状態なので、動けないし自分の考えしか日記に書いてないんですよね。
仕方ないので、そのまま掲載(^_^;)
命に別状無くても痛みがある病気はきっついなぁ。
あ、手術で腰椎あたりに金属が入るらしいし、骨化した部分も削ったり、人工椎間板も入るらしいし、上手くいったら長くつきあってきた腰痛とお別れできるかも・・・
まぁ、何にせよ腰のクリーニング手術なので今よりは良くなるんじゃ無いかなぁ。
あまり期待ばかりしてもアレなので、最悪でも歩行・座る・階段の昇降は出来るようになりたいなぁ、杖が必要でもいいから。
あとはフルタイム勤務に耐えれるかが心配だけど、まずは手術に向けて出来ることからやっていこう。
手術、リハビリ、一つ一つ終えてから仕事のことを考えよう。
でもね、この日、リハビリは来なかった・・・っていうオチ。
ではまた次回、へば。
OPLL入院2日目
ずいぶん間が空いてゴメンナサイ、とみーです。
さて、入院二日目・・・なのですが、日記つけてたのが3日目からなんですよね~。
なんで、今回は記憶が頼りです。
前日、考えるのを放棄(?)して睡眠薬で早寝したら早起きしました。当たり前?
4時ころには目が覚めまして、結局朝に看護師さんがくるまで延々と悩み続けた記憶があります。
で、この日は(日記を見直す限り)入院後初シャワーでした。
シャワーとはいえ、寝たきり状態。どうするのかと思ってたら、そのままストレッチャーで運ばれて、MRIみたいなストレッチャーごと入るシャワー装置(?)に入れられました。
もちろん、洗髪や体を洗うのも自分じゃできないので為すがままに。
洗ってくれるおばちゃんと話してたら息子と同じぐらいの歳だって言われました。
病気とはいえ、うちのお袋と同年代の皆さまに洗って貰う(介護?)していただいたことに、結構ショックというか、本来逆の立場じゃね?とか、いろいろと考えたのを覚えています。
結局何が言いたいかというと・・・手術や何やらの説明はすべて3日目以降にされたって日記にかいてあるので、二日目の記憶がこれしかないんです・・・
次からは日記があるんで、ちゃんと思い出せるんですが。
めっちゃどうでもいい内容まで書いてあるので、どうまとめるか悩む今日この頃。
それは次回ってことにしまして・・・
へば。
OPLL入院1日目後半
いろいろとドタバタしてたら更新遅くなっちゃいました。
結局、父の(転移)癌は治療方針が決まらなかったらしく、今週また病院に行くそうです。
最近のとみーは、奥歯の詰め物がとれちゃいまして、歯科に行ったりしてました。しかも2回。
1回目は何故かおにぎり食べてたらとれました。2回目はお餅だったからまぁわかるけど・・・
さて、話を半年ぐらい巻き戻してみると、入院していきなり聞いたことも無い病名を告げられたとみーです。
正直、「なんとか骨化症」っていうのしか覚えてなかったので、スマホで手当たり次第に情報収集。
とりあえず「難病」であること。
プロ野球選手でもこの病気になってる人がいること。
等々わかったところで、嫁さんが着替えとかもってやってきました。
「なんとか骨化症」っていう難病らしい、ってことを話したら呆然としてました。
そりゃそうだよなぁ、いきなり難病って言われたら・・・。
その後、院長が再登場。
家族もいる時に病気の詳細を説明した方が良いと考えたのかしら?
このときのお話は要約すると
・MRIでヘルニアのように見えていたモノは、CTの結果をみると骨である。
・この病気の名前は「腰椎後縦靱帯骨化症」である。
・骨化したモノが神経を圧迫して右下肢痛を引き起こしている。
・ヘルニアの手術をしたところで、骨なので取れない。
・OPLLの手術をするには執刀医の人数を増やさなければいけない。
・そのため、診察室で言った手術日は再考する(ヘルニアだと一人の整形外科医でできるらしい)
ぐらいだったと覚えてます。
正直、難病っていうのが頭の中をぐるぐる回ってて、あまりとみーは覚えてないです。
嫁さんも明日仕事だし、今夜から倅を一人で面倒見ないといけないし、宜しく頼むって言って帰ってもらいました。涙目でした。とみーも泣きそうだったけど。
日記つけるためにノート買ってきて、って言ったのはこのときです。
そんなところで夕飯がきました。
ありがとうございます~、って言ったものの・・・
起きられない。座れない。ベッドの傾斜をつけるのも激痛で無理。
・・・どーやって食べろと??
うつぶせのまま、半分ぐらい食べたところでリタイア。
ナースコールでご飯を下げてもらったところで、もう考えたくないので寝ることに。
時間はまだ19時過ぎでした・・・
初日終了、へば。
一息ついて
こっから入院編が続くのですが・・・
父が癌のため再入院するらしく、週末は家族で実家に帰省します。
来週から再度入院後のお話をさせて頂きます。
へば。
OPLL入院1日目前半
紹介状を書いて貰った次の日、指定時刻は14時。
前日の神経根ブロックが切れてからというもの、座るのも歩くのも非常に厳しい状態のため、はっきり言って寝たきり状態です。
嫁に車運転して貰い、病院に着いてから車いす借りてきて貰い、嫁さんに押して貰いながら受付へ。
紹介状を提出して待合室で待つように言われて移動したところで、痛みがもう限界。
どっか空いてる椅子に横になろうとしてたら、通りすがりの看護師さんが声をかけてくれて、ストレッチャーを持ってきてくれました。感謝。
ストレッチャーのまま待合室にいても邪魔なのか、空いてた診察室に運ばれ待つことしばし。
院長がきて診察開始。紹介状やMRIの写真を見ながら、
「ヘルニアですかね~、こんな状態(動けない)だし、手術しちゃいましょ」
覚悟は決めてたものの、確かに以前のヘルニアと違って座るのも歩くのも無理じゃ、手術が怖いとはいえ、受け入れるしかありません。
「最近、手術も混んでてね~、一番早いと7月4日の午後だね」
ずいぶんと簡単に日程が決まるものだなぁ、と変なところで感心。
で、座れもしないし歩けもしないのでもちろん今日から入院。
病棟行く前に、レントゲン、CT、およびL4L5の椎間板ヘルニアに神経根ブロック(前の病院ではL5と仙骨のヘルニア部分にしかやってなかったらしい)をするとのこと。
・・・よもや神経根ブロックを月に4回やるはめになるとは思わなかった。
検査待ちの間に、嫁さんが入院手続き。私はSAS(睡眠時無呼吸症候群)で就寝時はC-PAPっていう機械つけてるし、これがないとすごいイビキになるし、鬱病のからみで不眠症気味なこともあって、個室空いてたらそっちにしてもらうようにお願いしといた。
検査は順調。レントゲン、CTは台に移動するのがちょっと辛かったけど、問題は神経根ブロック。院長の腕が良いのか早く済んだけど、激痛なものは激痛でした。
で、肝心の神経根ブロックはほとんど効きませんでした。打たれ損とはこのことか・・・?(苦笑)
検査が終わると、幸い個室が空いてるとのことで、病棟へ移動し嫁さんは着替えとかいろいろと取りに一旦家へ。
時刻も夕方、とうとう人生初手術か~とか考えてたら院長が病室にやってきました。
開口一言、
「とみーさん、これヘルニアじゃ無いよ。腰椎後縦靱帯骨化症っていう難病」
え?
「大丈夫ですよ、国指定の難病だから治療費は国から出るから」
へ!?
あっけにとられてる間に院長は病室から出て行っちゃいました。
え~と、難病?
難病ってよくニュースの特集とか特番とかでやってる難病?
うちが? マジで?? ドッキリとかじゃなく???
一人呆然とベットに横たわったまま、日は暮れていくのであった。
後半へと続く。
へば。
OPLL入院前3
またまた続き。
書き始めると、日記つけて無くても覚えてるものですねぇ。
やっぱ痛いって記憶が残ってるからですかねぇ?
2013年6月21日
再度右足の痺れが酷くなってきたので再診察。
前回の神経根ブロックした箇所がちょっとズレてたかな~ってことで、またブロックやりました。
まぁねぇ、とみーも何度かブロック経験あるっていってもね。注射されながら神経に当たったら教えて下さいってヤツですからねぇ。
痛いのがイヤでちょっとビリッときたところで合図しちゃって、標的(?)より外れた箇所に薬剤が入った可能性も大ですからね、仕方が無い。
今回はちゃんと(?)頑張りました。右足の神経にメッチャ当たってますよ~ってところまで我慢して、そこに麻酔入れてもらいました。
ブロック後は順調♪
人間、痛みがとれると晴れ晴れとした気分になりますよね~。
2013年6月24日
前回から3日しか経ってないのに、今度は歩くどころか座ることも出来ない状況に。
嫁に仕事休んでもらい、3度目の通院になりました。
もちろん車の運転なんて出来る状態じゃなくなりましたので、嫁に運転してもらい椅子を倒したまま横になって連れて行ってもらったんですが。
朝一で行ったんですが、相変わらず繁盛(?)してるのか、終わったのは11時過ぎた頃でした。
処置内容は前回と一緒で今月3度目の神経根ブロックです。
結果、痛みは消えて普通に歩けるようになったし、嫁と二人で昼飯をスーパーに買いに行きました。
晴天だったのを覚えています。「歩けるって素晴らしい!」なんて言いながら昼飯を買って、家で食べました。
が、・・・14時過ぎ、再度激痛。もう寝返り打つのも大変なぐらい。立つどころか座ることさえ出来ません。
慌てて嫁に車出してもらって再受診。
医師曰く「もう手術しか無いね~」って言われました。
2000年の発症からヘルニアと何とか平和にお付き合いしてきたつもりですが、ヘルニアの方からとうとう宣戦布告らしいです。
とみーは発症時から手術は薦められていたのですが、恥ずかしながら「手術=怖い」ってイメージがあって、メスを入れずに何とかお付き合いしてきたんですよ。
問題は手術する病院です。ここはオープンしたての開業医。もちろん手術室どころか病床さえ無い病院です。
そんなとみーが薦められた病院は市内で家から(たぶん)一番離れた病院でした。
出来れば近場の市民病院とかにしてくれないか、ってお願いしたんですが、そういうところだと手術まで2ヶ月は待つ羽目になる、ここならすぐやってくれる、って言われて妥協しました。
家には倅もいるし、嫁も仕事を持つ身。近場で数ヶ月入院するぐらいなら、ちょっと遠くても(一応市内だし)早めに処置した方が良いって思ったからです。
もうブロック打っても効かないってことで、紹介状を書いてもらい、歩けないので松葉杖を借りて何とか帰宅しました。
紹介された病院の診察は明日14時。
もう手術が怖いとかじゃありません。寝たきり生活と、この痛みが取れるなら藁にでもすがりたい気持ちです。
おまけに医学だって進歩してますからね。きっと何とかなるだろう、って明日の通院が期待半分怖さ半分って感じでございました。
思いのほか長文になっちゃったので今回はここで。
次回から入院編(?)になります。
へば。